〔 維持する 〕
南岸の町で
海・山と共生する
美波町から牟岐町を経て海陽町へーー。
海岸線を往来するうちに出会った人びとは、
身近にあるものを守ることで、町を循環させつづけていた。
たどり着いたのは、循環しつづける町
ここに暮らす人びとを知れば知るほど、“取り組み”や“活動”という言葉が野暮に思えてくる。彼らはただ直感的かつ真摯に、自分にとって身近な存在を大切に守っていた。だからこの地域は、人は、気持ちよく巡っているのだろう。彼らがいるから、この地がある。海と山に囲まれた小さな町々に息づく、大きなパワーに触れる。
「20年くらい前から資源があきらかに減って、このままのやり方じゃダメだと感じたんですよ」と、〈日和佐町漁業協同組合〉組合長の豊﨑辰輝さんは言う。制限を設けながら適正な量を獲る伊勢海老の「資源管理型漁業」に取り組み、1999年には約8tだった漁獲高を、翌年には12t、15年後には18tと顕著に回復させた。
“世界一おもしろい水産業へ”をコンセプトに掲げ、海陽町の那佐湾で4年目の牡蠣養殖に取り組むのが〈リブル〉だ。〈リブル〉の岩本健輔さんが参考にしたのは、キレイな海でも上質な牡蠣の養殖に成功したオーストラリアの「シングルシード生産方式」。
海に設置したポールの間にワイヤーを張り、そこに牡蠣を入れたバスケットを吊り下げ、干満に合わせて牡蠣が海水に入る時間を調整することで天然に近い環境をつくり、強く育てている。それだけでなく、loTセンサーを利用して水温や濁度などの情報をデータ化してクラウド上で管理し、スマート漁業による安定的で効率的な養殖を目指している。バスケットに入れることで不要な付着物を防ぎ、きれいで安心な牡蠣殻を保てることも大きな特徴。
イノシシを獲って運んで捌くサーフボード職人兼猟師
美波町と海陽町の間にある牟岐町。南岸の町には海だけでなく、山とも深いかかわりがあるのだ。「獲物がかかっているかもしれない」と、猟師の家形智史さんの軽トラックの荷台に揺られながら山の中へ。最初のポイントで動けなくなっているイノシシを見つけた。
Surf & Hunt
故郷で人の役に立ちたいという想いから家形さんが沖縄から牟岐町に戻ったのは12年前。サーフボード職人との兼業で猟をはじめて6年。「農家さんのためにも猟師は必要」と、県猟友会の青年部員として、狩猟者の確保や初心者向けの講習なども積極的に行う。「ジビエは臭い、硬い、まずいと思っている人が多いのは、昔は処理も不十分だったから。そのイメージを変え、おいしさを伝えたいんです」
里山に囲まれた牟岐町は、世界的にも珍しい樵木林業で知られる地域だ。この伝統林業は、育った木を見極めて切り出したあと、谷間や傾斜を利用して集積場に運び、乾燥させ、川に流して出荷する独特の形態をとっていた。
その歴史は室町時代にまで遡るという。樵木林業のおかげで、風通しがよく強い山を保ち、多様な生物と美しい水を育んできた。だが、近年は放置された里山の鳥獣被害や、菌による伝染病で植物が枯死する「ナラ枯れ」などの弊害が深刻化している。
「昔は山全体で樵木林業をしていたけどね。最近は後継者不足で放置されて劣化する木が増えている。そういった木は伐採しないといけないけど、伐採しすぎると土砂くずれなどの心配もある。樵木林業があるから山の循環が守られてきたんだ」と語るのは、伐採した木で備長炭をつくっている牟岐色窯の西澤秀夫さん。かつて地域に20ほどあった炭窯も、現在はここのみとなった。湿度や天気、煙の色を長年の感覚で見極め、できあがる炭は、火つきがよく長もちする。「カンッ」と炭を切る音が山間に響きわたる。「お父ちゃんのつくる炭はね、音が違うんよ」と妻が嬉しそうに見守っていた。
藍と海。自分らしく文化を紡ぎたい
室町時代にはすでに藍の栽培が行われていた徳島県。かつては「海部(あまべ)」と呼ばれ、海洋民族が暮らしたこの海陽町で、藍の歴史と文化に想いを馳せる人がいる。
「20代でサーファーとして世界のさまざまな場所を旅しました。12年前、故郷の海陽町に戻り、自然とともに受け継がれてきた徳島の藍の文化を知っていくうちに、もっと広めたいと思ったんです」そう語るのは、フリーサーファーの永原レキさん。徳島の伝統文化とサーフカルチャーをつなぐ、ショップカフェ〈in Between Blues〉のオーナーだ。
衣料品やインテリア雑貨など藍染めによるプロダクトを取り扱う同店では、一般客が藍染め体験できるスタジオを併設。参加者に藍染めの実践だけでなく、天然藍の文化とその魅力について伝える「座学」の時間を設けることも大切にしている。
東京オリンピック・パラリンピックでは、美術家・野老朝雄さんによるサーフィン日本代表チームの2020年の公式ウェア「QUIKSILVER×TOKOLO」コラボモデルを永原さんが企画し、上板町の藍師・染師の〈BUAISOU〉の協力のもと実現。藍を通じて世界とつながるプロジェクトを重ね、藍と藍をとりまく歴史や文化への探究は、さらに深まっていった。藍を生産する藍師や染師の技法と価値を、自分らしいストーリーで伝承したい。さわやかに語る永原さんは、まさに現代の藍商人だ。
直感に導かれて移住、当地で愛される存在に
直感的にその土地に魅了され、移住を選び、地域の交流の場となる店の経営をはじめた人たちがいる。2021年4月に美波町にオープンした自家製パンとワインの店〈ミルアン〉の店主・ボーデ紀子さん。
夫の両親がヨット旅の途中で立ち寄った美波町風景に惚れこんで先に移住し、東京で働いていた紀子さんと夫も彼らに誘われ、2016年にこの地に移った。当初は義両親の民宿を手伝っていたが、夢だった自分の店を開くことを決意。店に飾られた古いランプや欄間、フランス人で彫刻家の義父が外壁に施したモチーフは、彼女の雰囲気にとても合っている。
「美波町日和佐の街並みが大好きなんです。そのよさを少しでも残していきたい」
「FRaU S-TRIP 2021年12月号 サステナブルを学ぶ『徳島』への旅」講談社刊より